|
|
|
飛行場の安全と住民の生活の安心のために
|
発 行
飛行場問題を考える市民の会事務局
042−485−6389
松下 亘男
|
|
春号
|
チェルノブイリ級の可能性も!
福島原発事故
ここで注意しなければならないのは、死者が激増しているのではなく、判明した数が激増したに過ぎないということである。そして、同様のことは、放射能汚染にも言えるのである。
建屋が吹っ飛んだ以上…
そもそも、原発というのは、万一の場合があっても、放射能を外部に漏らしてはならないという観点から、設計されている。建屋は、厚さ10mの鉄筋コンクリートで造られており、たとえ航空機が墜落しても、大丈夫と言われてきた。
その建屋が、吹っ飛んだのである。水素爆発の威力は、それだけ物凄いわけで、そもそも、原子炉そのものが無傷であろうはずもない。従って、激しい放射能汚染は、当初から起こっていたはずであり、数値の悪化というのは、単に、それが次第に判明してきたか、或いは、隠蔽してきた数値を、小出しにしてきたかの、いずれかではないか、というわけである。
死者の数と同様に、放射能汚染も、激増の予感である。
基本的な「基準」の問題
公開されている汚染の数値以前に、そもそもの「基準」の問題があるのも、忘れてはならない。
年間1ミリシーベルトまで被爆しても大丈夫という、政府が使用している数値は、国際放射線防護委員会(ICRP)の「被爆安全基準」によるものだが、放射線リスク欧州委員会(ECRR)のクリス・バスビー博士は、「レントゲンなどの装置から放射線が飛んでくる『体外被曝』の放射線量に基づいて、安全基準を算出しています。つまり、汚染された空気を吸ったり、食品を口にすることで体内に(裏面へ続く)
チェルノブイリ級の可能性も!
福島原発事故
(表面から続く)ダメージが蓄積される『体内被曝』を、考慮に入れていないのです」(週刊現代4月9日号41頁)と指摘している。
さらに、この1ミリシーベルトの、「1」という数値についても、注意を払う必要があろう。本当に、調査研究を重ねた上の数値であれば、こんな割り切れるものになろうはずもない。
3月15日、厚生労働省は、東日本大震災での福島第一原発事故で応急対策にあたる作業員の放射線の被曝線量限度を、100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げる特例を定めたと発表した。これで、1回当たり15分程度だった作業時間が、30分程度に増えるという。安全基準は、一気に2.5倍も緩和されてしまった。
このように、安全基準というものは、しばしば、実態にではなく、目的に合わせて、恣意的に定められたりしている。もちろん、だからこそ、原発というのは、「安全な施設」であったわけだが。「基準の範囲内」ということで、安心してはならない。
「トーデン発表」
戦後、「大本営発表」という言葉が流行った時期がある。太平洋戦争の中盤以降、戦況が悪化していたにも関わらず、大本営は、人々を鼓舞するために、日本軍が勝ち進んでいるかのような発表をし続けた。そこで、戦後、人々は、明らかなウソを言う前に、「大本営発表」などと言って、言葉の遊びをしたものである。
戦中の問題は、すべての情報が、軍部に集中していたことにある。政府や新聞、ラジオ、いろいろなところで情報は流されたが、それは、元をたどれば、すべて軍部に行き着くと言っても過言ではない状態であった。そして、人々は、それが真実であると、信じ込まされてしまった。
現在、原発事故に関する多くの情報は、東京電力から発信されている。政府や新聞、テレビが、原発周辺の放射能が、○○シーベルトだと流しても、それは、元をたどれば、ほとんど東電に行き着く。その情報の真偽を、誰も確かめることができない。
「トーデン発表」を、頭から否定することはないが、信じ込まされてはならない。
他の情報があると………
パニックは避けるべきである。放射能から逃れようとして、交通事故を起こして死亡してしまえば、元も子もない。冷静沈着に行動することは、とても大切なことである。しかし、だからと言って、何も知らされず、安閑としていて良いというわけでは、もちろんない。
例えば、トーデン発表以外の情報を持っているであろう外国の対応には、際立ったものがある。アメリカを初め、多くの国では、日本に滞在する自国民に、福島原発から半径80km圏内から退避するよう、呼びかけた。中には、自国まで連れて帰った国もある。20以上の国が、大使館を、東京から関西に移した。こうした行動は、決してデマに基づくものではなく、それなりの理由があるものと、考えるべきである。
許しがたい石原暴言
震災直後、石原都知事の発した暴言は、常軌を逸している。元々、問題発言を繰り返してきた人物ではあるが、「大震災は天罰」とは何事か。亡くなられた数万人の方、被災した数十万人の方が、いったい、こんな天罰を受けなければならない、どんな悪いことをしたと言うのか。それに続く、「この津波をうまく利用して」、「我欲を洗い流せ」という言葉も、不愉快千万である。「うまく」とは、どういうことか。「利用」の「利」も、不適切極まりない。「教訓」ならば、山ほどあるが。そして、「我欲」とは何のことか。
人は、往々にして、他人を、自分と似た存在であると、思い込むものである。しかし、それは、幻想であることが多い。要は、単に「類は友を呼ぶ」ということからくる、勘違いである。
かつて、ライブドアの堀江社長が、「人は金で動くものだ」と発言して、物議をかもしたことがある。要は、金で動く人間の周りに、金で動く人間が集まった結果、人は金で動くものと見えただけのことである。
同様に、「選挙結果次第では、自分の都政が引き継がれないかも知れない」などという理由で、多選に打って出た、我欲の塊のような人物の周りには、やっぱり、そういうのが集まるのである。事実、今回の都知事選に名乗りを上げた人物の中にも、出馬声明を出す以前の石原のところへ挨拶に行った人物は、複数いる。そんなものである。
人助けに励む姿も
一方で、今回の震災地で、多くのボランティアが頑張っている姿が、報道されている。ボランティアの活躍は、何も今回が初めてのことではない。阪神でも四川でも、それは数えれば、結構なものとなる。日本には、人助けに励む人たちが、以前から存在していた。ただ石原の周囲には、寄りつかなかったのであろう。
今なすべきことは、山ほどあるだろう。当面の放射能対策も、東北への連帯も、大切なことである。しかし、調布飛行場周辺に住む市民という立場からすると、忘れては絶対にならないのは、福島原発が、本当に制御不能になった場合への備えである。
今回の震災で、万一の備えで生き残ったという例は、枚挙に暇がない。今後2年間に、福島が、本当にダメになる可能性は、1%程度はあるのではなかろうか。
その時、何を持って逃げますか。水は、食物は、薬は。新幹線乗れますか、高速動きますか、裏道知っていますか。頼れる親戚いますか、宿屋にしますか、寝袋にしますか、手に入りますか。一寸先は、本当に闇なのだ、念のため。